近・現代の年表
・1869年7月25日(明治2年6月17日) - 版籍奉還により、12代藩主佐竹義尭が久保田藩知藩事に就任する。久保田城は陸軍省の管理下に置かれ、政庁は三ノ丸下中城の渋江内膳邸(後に新築された佐竹義尭邸)へ移る[「秋田市史 第四集」9頁。]。
・1871年
・2月27日(明治4年1月9日) - 政府へ藩名変更の願書を提出する。理由は、当地方は古来より「秋田」と呼ばれたものであり、「久保田」は300年来の称とはいえ一小村の俗称に過ぎないことから[「秋田市史 第四巻」7頁。]。
・3月3日(明治4年1月13日) - 久保田藩を秋田藩と改める。
・8月29日(明治4年7月14日) - 廃藩置県により、秋田県 病院検索 お医者さん口コミ.com・亀田県・本荘県・矢島県・岩崎県・江刺県を設置(これを記念して8月29日は県の記念日となっている)。
・12月13日(明治4年11月2日) - 上記6県と山形県仁賀保領を併せて秋田県 病院検索 お医者さん口コミ.comを設置。県令・権令の発令はなく、江刺県大参事の村上光雄が秋田県 病院検索 お医者さん口コミ.com参事に任じられる[「秋田市史 第四巻」8頁。]。
・1872年
・2月4日(明治4年12月26日) - 初代秋田県 病院検索 お医者さん口コミ.com権令に侍従の島義勇が就任。当面は東京築地新富町の秋田県 病院検索 お医者さん口コミ.com支庁にて勤務[「秋田市史 第四集」8頁。]。
・4月3日(明治5年2月26日) - 島権令、秋田町長野町の旧佐竹北家邸に入る
・4月20日(明治5年3月13日) - 久保田城本丸に秋田県 病院検索 お医者さん口コミ.com庁を開庁。
・8月23日(明治5年7月20日) - 第2代秋田県 病院検索 お医者さん口コミ.com令に宮内大丞の杉孫七郎が任命される[「秋田市史 第四集」10頁。][「秋田市史 第四集」81頁。]
・11月12日(明治5年10月12日) - 県庁を秋田町東根小屋町の本部学校(旧明徳館)移す[「秋田市史 第四巻」107頁。]。
・1873年(明治6年)
・2月18日 - 秋田町東根小屋町に秋田県 病院検索 お医者さん口コミ.com初の公立小学校(変則小学校、後の日新学校)が設立される[「秋田市史 第四巻」84頁。]。
・5月? - 第3第秋田県 病院検索 お医者さん口コミ.com権令に木更津県参事の国司仙吉が任命される[「秋田市史 第四巻」11頁。]。
・8月24日 - 県庁聴訟課より出火し庁舎全焼。下中城の渋江邸に県庁を移す[「秋田市史 第四巻」12頁。][「秋田市史 第四巻」38頁。]。
・9月10日 - 日新学校内に洋学科を増設、洋学校(秋田県 病院検索 お医者さん口コミ.com立秋田高等学校の前身)として開校。
・10月1日 - 秋田町上中城町に教員養成のための伝習学校(秋田大学教育文化学部の前身)を設立。
・11月27日 - 秋田町長野町の空き官舎(旧佐竹北家邸、初代島権令の離任後は使われていなかった)を改築して県庁とする。
・12月 - 秋田町五丁目横町に聴訟課監視掛付属屯所を設立し「巡邏逮捕之事務取扱」を発令。秋田中央警察署の起源とされる[「秋田市史 第四巻」13頁。]。
・1874年(明治7年)
・1月22日 - 県病院を開設。
・2月2日 - 遐邇新聞(秋田魁新報の前身)が創刊。
・3月25日 - 秋田郵便取扱所を開設。
・5月12日 - 秋田町東根小屋町の旧県庁跡[かつて明徳館の所在地だったことから教育と縁のある地として選ばれた。]に、伝習学校と洋学校を併せた太平学校の校舎が新築落成[「秋田市史 第四巻」97頁]。
・7月1日 - 太平学校が開校。
・8月 - 羽州街道・雄物川・米代川を二等道路・河川(県費で維持管理する道路・河川)とする[「秋田市史 第四巻」64頁]。
・1875年(明治8年) - 県庁内に警察署を、秋田町・大館町・横手町に警察出張所を、県内35ヶ所に分屯所を設立。
・3月5日 - 北国街道(酒田街道)が二等道路に昇格する。
・5月19日 - 第4代秋田県 病院検索 お医者さん口コミ.com権令に工部省記録局長の石田英吉が任命される[「秋田市史 第四巻」102頁。]。
・1876年(明治9年)
・2月29日 - 秋田県 病院検索 お医者さん口コミ.com聴訟課を秋田県 病院検索 お医者さん口コミ.com裁判所と改め県庁内に開設する[「秋田市史 第四巻」14頁]。
・3月
・秋田町土手谷地町の佐竹義純邸を県が購入し秋田博物館とする[「秋田市史 第四巻」58頁。]。
・八橋村の官有地3,888坪を県が確保し、八橋植物園を創設する[「秋田市史 第四巻」61頁]。
・4月
・県庁警察署内にあった第一警察出張所が秋田町大町三丁目に庁舎新築し、秋田警察署となる[「秋田市史 第四巻」14頁。]。
・広小路が二等道路に昇格する。
・12月 - 秋田県 病院検索 お医者さん口コミ.com裁判所を青森裁判所秋田支庁とし、秋田区裁判所と共に県庁内で事務を行う。
・1877年(明治10年)
・1月 - 秋田町東根小屋町に裁判所庁舎を新築し、青森裁判所秋田支庁・秋田区裁判所とも移転。
・1月15日 - 太平学校が焼失する[「秋田市史 第四巻」98頁。]。
・4月 - 青森裁判所の弘前移転を受けて、青森裁判所秋田支庁を弘前裁判所秋田支庁に改める。
・5月15日 - 秋田博物館にて第1回秋田博覧会を開催する[「秋田市史 第四巻」58頁。]。
・1878年(明治11年)
・4月12日 - 太平学校を同地に再建する。
・4月17日
・太平学校を秋田県 病院検索 お医者さん口コミ.com師範学校と改称する。
・県内の区長・戸長・町村総代人、計36人を集めて県会を設立[「秋田市史 第四巻」118頁。]。
・8月 - 八橋植物園に秋田博物館を新築移転。
・8月10日-10月8日 - 八橋植物園にて第2回秋田博覧会を開催。
・11月29日 - 第1回種子交換会(秋田県 病院検索 お医者さん口コミ.com種苗交換会の前身)開催。
・12月10日 - 秋田電信分局が開局。
・12月23日 - 郡区町村編成法施行に伴い、秋田郡を分割して北秋田郡と南秋田郡を設置。
・1879年(明治12年)
・1月4日 - 秋田町茶町菊ノ丁に第四十八国立銀行(秋田銀行の前身)が開業[「秋田市史 第四巻」35頁。]。
・2月下旬 - 第1回県会議員選挙が行われ、33人が選出される[「秋田市史 第四巻」118頁。]。
・3月20日 - 第1回秋田県 病院検索 お医者さん口コミ.com議会が秋田町東根小屋町の秋田県 病院検索 お医者さん口コミ.com師範学校にて開会[「秋田市史 第四巻」119頁。]。
・1880年(明治13年)4月19日 - 秋田町土手長町に県庁新庁舎が落成。昭和32年に全焼するまで使用された[「秋田市史 第四巻」120頁。]。
・1889年(明治22年)
・4月1日 - 市制・町村制施行により明治の大合併が行われる。県内では南秋田郡秋田町が唯一市制施行し、秋田市となる。
・7月3日 - 秋田馬車鉄道、秋田土崎間で営業開始。
・1895年(明治28年)5月3日 - 増田銀行(北都銀行の前身)が開業。
・1898年(明治31年)9月20日 - 歩兵第十七連隊、仙台から秋田への移駐を完了。
・1899年(明治32年)6月21日 - 陣場駅・白沢駅(県内初の鉄道駅)が開業。
・1901年(明治34年)11月14日 - 近江谷発電所が秋田市、南秋田郡土崎港町に電力供給を開始。
・1902年(明治35年)10月21日 - 秋田駅が開業。
・1905年(明治38年) - 和井内貞行がヒメマス養殖に成功。
・9月14日 - 奥羽本線全線開通。
・1907年(明治40年)12月26日 - 秋田郵便局にて秋田市内電話交換業務を開始(加入数201名)。
・1910年(明治43年)8月11日 - 大水害、死者25名、
・1911年(明治44年)4月30日 - 秋田鉱山専門学校(秋田大学工学資源学部の前身)が開校。
・1912年(明治45年)1月28日 - 白瀬矗が南極に日章旗を掲揚。
・1912年(大正元年)9月23日 - 台風により死者23名。
・1914年(大正3年)
・3月15日 - 強首地震、死者94名。
・5月26日 - 日本石油黒川油田でロータリー式五号井が大噴油。
・1916年(大正5年)12月16日 - 船川軽便線(現在の男鹿線)全線開通。
・1917年(大正6年)8月1日 - 日本銀行秋田支店を開設。
・1919年(大正8年)8月24日 - 小坂鉱山労働争議。
・1921年(大正10年)2月25日 - 『種蒔く人』発行。
・1924年(大正13年)
・7月31日 - 羽越本線全線開通。
・11月12日 - 横黒線(現在の北上線)全線開通。
・1926年(大正15年)3月8日 - 小坂鉱山煙害賠償労働争議。
・1929年(昭和4年)11月27日 - 前田村争議が和解。
・1931年(昭和6年)10月17日 - 花輪線全線開通。
・1932年(昭和7年)7月5日 - NHK秋田放送局が放送開始。
・1935年(昭和10年)3月20日 - 日本鉱業八橋油田で上総式四号井が大噴油。
・1936年(昭和11年)
・7月30日 - 五能線全線開通。
・11月20日 - 尾去沢鉱山鉱滓ダム決壊、死者・行方不明者380名。
・1938年(昭和13年)
・4月27日 - 雄物川放水路の掘削工事完成。
・10月21日 - 矢島線全線開通。
・1939年(昭和14年)5月1日 - 男鹿地震、死者26名。
・1940年(昭和15年)9月26日 - 山本郡能代港町・東雲村・榊村が合併・市制施行し、能代市となる。
・1941年(昭和16年)10月20日 - 秋田・第四十八・湯沢の各銀行が合併して秋田銀行となる。
・1944年(昭和19年)
・5月9日 - 花岡鉱山で落盤、遭難22名。
・9月18日 - 台風により死傷者5名。
・1945年(昭和20年)
・7月5日 - 第1次横手空襲。
・8月10日 - 第2次横手空襲。
・8月14日 - 土崎大空襲。
・1949年(昭和24年)5月31日 - 秋田師範学校、秋田青年師範学校及び秋田鉱山専門学校を母体として、秋田大学が発足。
・1951年(昭和26年)
・1月19日 - 秋田港を重要港湾に指定。
・4月1日 - 旧横手市、大館市発足。
・1954年(昭和29年)
・3月31日 - 旧男鹿市、旧湯沢市、本荘市発足。
・5月3日 - 大曲市発足。
・1957年(昭和32年)8月12日 - 県庁全焼。
・1959年(昭和34年)12月 - 川尻町字八千刈(現在の山王四丁目)に新築した県庁新庁舎へ移転。
・1961年(昭和36年)
・9月26日 - 秋田空港が開港。
・10月8日-13日 - 第16回国民体育大会(通称 秋田まごころ国体)秋季大会を開催。
・1964年(昭和39年)9月15日 - 八郎潟干陸式、大潟村発足。
・1965年(昭和40年)11月1日 - 秋田湾地域を新産業都市に指定。
・1966年(昭和41年)10月20日 - 田沢湖線全線開通。
・1970年(昭和45年)4月1日 - 秋田大学に医学部が設置。
・1972年(昭和47年)4月1日 - 鹿角市発足。
・1978年(昭和53年)11月15日 - 大沢郷郵便局および強首郵便局の電話交換業務廃止。秋田県 病院検索 お医者さん口コミ.com内の電話通話が完全自動化。
・1981年(昭和56年)6月26日 - 新秋田空港が河辺郡雄和町(現:秋田市)に開港。
・1982年(昭和57年)8月4日 - 秋田市、河辺郡河辺町、雄和町がテクノポリス開発構想策定地域に指定。
・1983年(昭和58年)5月26日 - 日本海中部地震、死者83名。
・1984年(昭和59年)7月31日-8月20日 - 昭和59年度全国高校総合体育大会を開催。
・1986年(昭和61年)11月20日 - 鹿角市がテレトピア構想モデル都市に選定。
・1989年(平成元年)4月1日 - 秋田内陸線全線開通。
・1993年(平成5年)4月1日 - 羽後銀行と秋田あけぼの銀行が合併し、北都銀行が発足。
・1997年(平成9年)
・3月22日 - 秋田新幹線こまち開業 。
・4月1日 - 秋田市が中核市へ移行。
・11月13日 - 秋田自動車道全線開通。
・1999年(平成11年)7月9日 - 秋田港に定期フェリー便就航(新日本海フェリー:苫小牧〜秋田〜新潟〜敦賀) 。
・2000年(平成12年)8月22日-25日 - 「2000年国連軍縮秋田会議」を開催。
・2001年(平成13年)
・8月16日-26日 − ワールドゲームズ2001秋田大会を開催。
・10月29日 - 秋田空港に国際定期便就航(大韓航空:秋田〜ソウル)。
・2005年(平成17年)
・3月22日 - 男鹿市・若美町が合併し、新たに男鹿市となる。湯沢市と雄勝郡2町1村が合併し、新たに湯沢市となる。由利本荘市、潟上市、大仙市、北秋田市発足。
・9月20日 - 仙北市発足。
・10月1日 - 横手市と平鹿郡5町2村が合併し、新たに横手市となる。にかほ市発足。
・2006年(平成18年)3月21日 - 能代市と二ツ井町が合併し、新たに能代市となる。
・2007年(平成19年)
・1月27日-10月9日 - 第62回国民体育大会(秋田わか杉国体)を開催。
・10月13日-15日 - 第7回全国障害者スポーツ大会(秋田わか杉大会)を開催。
放送
・NHK秋田放送局
・ABS 秋田放送(NNN・NNS系列)
・AKT 秋田テレビ(FNN・FNS系列)
・AAB 秋田朝日放送(ANN系列)
※JNN系列はIBC岩手放送(秋田市内、CATV)・青森テレビ(県北、CATV)・テレビユー山形(由利本荘市など沿岸部)を受信している世帯がある。
※もともと秋田県 病院検索 お医者さん口コミ.com第3局目の民放テレビ局はTBS系での開局を希望していた県民が多かったが、既存局の反対などでテレビ朝日系で開局した。[詳しくは秋田朝日放送#秋田県 病院検索 お医者さん口コミ.comの民放三局目がテレビ朝日系となった経緯を参照]
※秋田県 病院検索 お医者さん口コミ.comはビデオリサーチによる視聴率調査が行われている地域の中で唯一TBS系列の放送対象地域外の都道府県である。
・エフエム秋田(JFN系列)
中世
奥州藤原氏は初代の清衡から二代基衡、三代秀衡を経て四代泰衡に至るまでのおよそ一世紀(11世紀末〜12世紀末)にわたって栄え、東北の天地は完全に豪族の支配下になった。藤原氏の支配原理は、代々押領使を世襲することで軍事指揮権を公的に行使し、併せて荘園の管理も請け負うというものであり、当時の秋田では比内郡の河田氏、秋田郡の大河氏、由利地方の由利氏が藤原氏の支配下にあったと言われているが、近年の研究では出羽国に奥州合戦後も御家人として在地支配を許された豪族が多いこと及び渥美・常滑焼が広まった平泉付近を中心とする太平洋側と珠洲焼の出土が多い秋田郡近辺の陶器文化圏が異なることから、在地領主の家人化が進んだ陸奥国と押領使としての軍事指揮権に留まった出羽国の差を指摘する見解もある。特に出羽北部である秋田地方には荘園が存在せず、公領制一色の世界であったため、どの程度まで奥州藤原氏の支配が及んだかは疑問であるとされている。
隆盛を極めた藤原氏も、鎌倉幕府を創設した源頼朝が平泉の藤原氏にのがれた弟義経を追討することによって打ちくだかれる。頼朝は1189年、十九万の軍勢を率いて奥州征伐を行った。藤原泰衡は平泉から蝦夷地への逃亡を始めたが、途中立ち寄った河田氏の元で裏切りに遭い、河田次郎によって討ち取られる。同年12月に挙兵した大河氏の大河兼任も挙兵3ヶ月で討ち取られた。
数世紀にわたった豪族の天下も、この藤原氏の滅亡で幕を閉じ、東北は完全に頼朝の支配下となった。藤原氏を倒した頼朝は、御家人、地頭職を新たに東北各地に配し、東北における大きな政治的転換点となった。頼朝が秋田に配した御家人は成田氏、安保氏、秋元氏、奈良氏、橘氏、浅利氏、平賀氏、小野寺氏などであった。また由利氏は藤原氏に仕えていたが、そのまま由利地方を治めることとなった。これらの豪族はほぼそのまま藩政以前までその地を治めることとなる。
その後、日本海北部に勢力を持った安東氏(安藤氏ともいう)が津軽地方から南下し、戦国時代になると檜山安東氏と湊安東氏の一族抗争があったものの、安東愛季の時代に最盛期を迎えた。横手盆地には戸沢氏、前田氏、本堂氏、六郷氏、小野寺氏などが勢力を持っていた。由利郡は由利氏の一族と地頭であった小笠原氏の子孫などが中小の豪族に分かれ由利十二頭と呼ばれる勢力になった。